国産初の可搬消防ポンプ
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VF-50型 |
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終戦と同時に戦時中の軍需品を応用して民生用製品を開発し、とりあえずその日を過ごしていた戦後日本経済に最初の好況をもたらしたのは、1950(昭和25)年に起こった朝鮮戦争である。この特需により日本は急速に息を吹きかえす。
しかし、当社は朝鮮戦争以前、早くも1947(昭和22)年から1949(昭和24)年にかけて、その後の当社の方向を決める注目すべき製品を開発している。
その第一は可搬消防ポンプである。1948(昭和23)年に製作されたVB型揚水ポンプの設計を変更し、吐水量を減らし圧力を上げて、これに吸水用真空ポンプを取り付けた設計で、1949(昭和24)年秋に完成した。VB型揚水ポンプの軽便性に着目し、消防ポンプに応用することを勧めたのは、日本の航空発動機の権威として知られ、当時消防研究所に在籍していた東京大学名誉教授の富塚清博士だった。
同ポンプは我が国最初の可搬式動力消防ポンプで、検定規格合格の第1号機でもあった。
消防ポンプにおいては、江戸時代からの腕用ポンプを使用している市町村も多く、消防団も可搬消防ポンプに対する認識が薄かった。だが、実際に使用してみると軽量で放水能力が比べものにならないほど優れており、耐久性も富んでいることが納得された。このため、販売台数も飛躍的に伸びた。
さらに、1951(昭和26)年頃からはそれまでの啓蒙・宣伝運動が実を結び、ポンプ事業が好調になったため、同年10月に「VE-50型」を開発、同年11月にはワンランク上の「VF-50型」を完成させた。
この2機種はその後、各種の改良が加えられてシリーズ化され、「VEシリーズ」は1975(昭和50)年までの24年間に累計、1万2,677台が、「VFシリーズ」は1961(昭和36)年までの10年間に1万3,160台が生産され、大いに経営に貢献した。
「トーハツ・バンブル・ビー号」発進!
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TFG-50型78cc |
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当社の経営を左右した製品の第2は、TFL型バイク用エンジンである。当時、焼け跡に残されていた発動発電機用エンジンを修理して自転車に取り付けた乗り物が出回り始めていた。
同じ頃、当社は戦時中の車両無線電源、500W発電機のエンジン「TFG-50型70cc」の冷却ファン、ファンケース、ガバナーなどを取り去り、コーンクラッチ、リフター、バルブなどを付け「TFI型」として、また取付金具などが多少変わった「TKL型」として2輪車メーカーに納入した。
間もなく、独自に普通自転車に取り付けられるようにタンク、マフラー、取り付け金具、カバー類などをセットにしたものを「TFL型」として発売した。これは耐久性が優秀で、その後、オートバイ業界に躍進する原動力となった製品である。
「TFL型」は普通の自転車に取り付けたのでは車体が弱く、また乗り心地も良くなかった。このため、1950(昭和25)年春頃から自転車メーカーに特殊仕様の自転車を発注し、出張所や特約店でエンジンを取り付けて販売した。これが「TFM型」で、後に一世を風靡する「トーハツ号」の登場である。
2輪車は1951(昭和26)年の夏頃から需要が本格化し、自転車補助エンジンの時代から本格的なモーターサイクル時代に転換し始めた。当社は、「TFP型」(98cc)ではミッション一体型のタイプを新設計し、キックスタートを採用した。そして愛称を従業員から募集し、「トーハツ・バンブル・ビー号」(エンジン2サイクル98cc、2段変速)と名付け、高級車として販売した。なお、「バンブル・ビー」とは熊蜂のことである。
研究所を設立、渡邊博士を迎える
1950(昭和25)年1月、東京証券取引所に上場を果たした当社は翌1951(昭和26)年5月に、志村工場内に「東京発動機株式会社研究所」を設立する。研究所長には当時慶応義塾大学教授であった渡邊一郎工学博士を迎え、内燃機関の基礎研究に取り組んだ。渡邊博士は東京大学工学部卒、戦時中は航空機のスーパー・チャージャー(過給機)の研究に取り組んでいた。
戦後の設備改善と岡谷工場の改築
1951(昭和26)年頃になると次第に2輪車、可搬消防ポンプとも売上が上昇し、業績が向上する。
1952(昭和27)年から1953(昭和28)年にかけて戦後初めて設備の改善が行われ、倣い旋盤やターレット旋盤などの最新設備が投入された。岡谷工場はTH型、PA型2輪車エンジンの生産を担当していたが、老朽化が激しかった工場の一部を除きすべて新築することにし、1953(昭和28)年3月に落成式が行われた。この工場は当時、長野県下のモデル工場と言われた。
また、1954(昭和29)年秋には大幅な機構改革を行い、従来、岡谷工場長は志村工場長が兼任していたが、岡谷の専任工場長が置かれ、独立工場としての体制を整えた。
従業員もこの頃から毎年、大卒の新入社員を2桁規模で採用し、営業部門も急速に拡充していった。
1954(昭和29)年は自衛隊の発足した年でもあり、これによる発動発電機の特需も当社を潤した。










