モーターバイクの急速な不振
前述のように、1955(昭和30)年は「最良の年」であったが、絶頂は長くは続かなかった。1957(昭和32)年に入ると2輪車の販売のかげりにより、売上に対して利益が次第に低下するようになる。この時点で、モーターバイクの売上比率が全社の80%を占めていたため、この影響は大きかった。
そこで当社は、1951(昭和26)年9月期決算から続けてきた3割配当を、昭和32年6月期に2割5分に引き下げた。その後1957(昭和32)年9月期には2割配当に減額、1958(昭和33)年9月期には1割5分配当となり、1960(昭和35)年3月期8分、同年9月期以降は赤字決算となり、無配に転落した。
トーハツオートバイは実用性では優れてはいたが、当時、需要が増加しつつあった若年層を狙ったロードスポーツ車への変化に遅れを取ったのである。大手メーカーでは若年層をターゲットにしたロードスポーツ車を発表し、売れ行きも好調であった。
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ランペットCA2 提供:株式会社八重洲出版 |
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当社は、この遅れを挽回すべく1960年には、斬新的なデザインの排気量50ccロードスポーツ車ランペットCAを発売、当時このクラス日本最初の本格的スポーツモデルと評価された。翌年には、このモデルをよりスポーティーにし、当時盛んであったクラブマンレースに僅かな改造で参戦できるタイプのCA2を発売、この車はクラブマンレースを総なめにし、特に各地で行われていた、当時スクランブルレースと称されていたオフロードレースでは、出場台数の80%近くをCA2が占めており、この評価と独占状態は競合他社に大きな脅威を与えた。
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トーハツスポーツLD3 |
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また、125ccクラスではトーハツ最初の2気筒エンジンを積んだトーハツスポーツLD3が発売され、これもデザインの斬新性・卓越したエンジン性能・前後輪に大径マグネシュウムブレーキを装備する等で注目を集めた。1962年には、市販レーサーとしてトーハツスクランブラーTR250(2気筒250cc)、ランペットCR2(ランペットスポーツをレース仕様にチューニング)を発表。1963年には道路交通法改正の情報があり、許可制で乗れることを見越し、当時の市販モペットとしては最も小型な排気量35ccベルBCを発売、デザインもユニークで婦人もスカートで乗れ、バイク感覚を味わえる車として注目を浴びた。また同年の東京モーターショーには水平対向2気筒90ccフルカバードスタイルのエンジンを含め全く斬新的なモデルを参考出品している。
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ベルBC |
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1960年から連続的に発表された、これ等のバイクの評価は非常に高かったが時既に遅く、悪化していた経営状態を建直すことは出来なかった。
バイクの将来は、4輪自動車が普及すれば当然荷物を運ぶ実用車からスポーツ感覚で楽しめる乗り物に変わって行く事は誰にでも予測された事であり、当社も1957年には4輪を開発しようとし、その研究に着手していたが、既に経営の悪化が始まっており、本腰をいれる状況にはならなかった。










