再び技術の企業として進む

4.マーケティング思考の成果

現場に飛び込んだ営業活動

当社はこれまで見てきたように、技術を売り物にしてきたメーカーである。しかし、どんなに優秀な技術によって生み出された製品でも、顧客に認めてもらい、販売できてはじめて事業が成り立つことは言うまでもない。

船外機、消防ポンプは、警視庁、警察庁、法務省、東京消防庁、海上保安庁などへ販売されたほか、各地方自治体へ販売された。この時、1974(昭和49)年に起きた熊本市の大洋デパートの火災があり、死者103人の大災害であったが、ここでデパート側の防災管理の不備が指摘され、大規模なビル火災から人命を守るため、初期消火や救助活動をいかに迅速に行うかについて検討された。これが当社の防災関連の需要につながったのであった。

経営の安定化を目指した不動産事業

1984(昭和59)年5月、満田武の死去に伴い、後任に松本功が社長に就任した。

当時の経営陣は、船外機、消防ポンプの2大事業のほかに、保有している土地建物の不動産賃貸事業に着手した。

(左)志村坂上ビル (右)志村坂下第三別館
(左)志村坂上ビル  (右)志村坂下第三別館 

当社は、戦前から板橋・志村の地(現在の小豆沢、都営三田線志村坂上駅近郊)や常盤台に工場や倉庫などの土地を保有していた。これらの中には遊休地となっているものもあった。1984(昭和59)年には志村の2輪車工場の跡地に倉庫を新築し、これを賃貸する事業を開始した。

その後も、テナントビルを建築し、長期にわたって賃貸する不動産事業を継続している。ちなみに1984年というと日米貿易摩擦が本格化、輸出急増により円高が進行したバブル景気の開始直前。不動産投資がかなり盛んになり始めたころである。しかし、当社の不動産事業はあくまでも保有資産を有効活用するものであり、投機とは縁のないものだった。

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